2000年2月13日、ついに押し出し再現が
計画通り行われました。100年前の天気は、
雲龍寺を出発するとき、男体山、赤城山が晴れ
た空によく見えてとても寒い日だったという事
ですが、今日は風もおだやかな快晴に恵まれ、
絶好の押し出し再現日和というところでしょう
か。
9時に雲龍寺を出発。私は川俣の現場へ行った
のですが、早くも11時半には先頭の方が到着
です。みの、笠の姿でムシロ旗やら白い布にス
ローガンを書いたものを風になびかせ、緊張感
はなく、10kmを歩いて来たとは思えないほ
どの元気さです。足には皆さんよく履き慣れた
スニーカー、これは現代版わらじですね。当時
はもちろんわらじ履きでした。それも履きかえ
用に各人10足も持っていたそうです。みの、
笠にスニーカー、そのアンバランスが何ともい
えません。全員到着後、真如院(当時もケガ人
の救護や炊き出しが行われたお寺)で、明和町
の方からの暖かい豚汁のサービスをいただきま
した。万歩計が10kmで17500歩くらい
だったそうです。
続いて午後2時からは、会場は板倉町中央公民
館に移り、シンポジウム「足尾鉱毒問題と板倉
の人々」と題して、宇井純、田村紀雄、山岸一
平各先生方による講演があり、ここもまた階段
に座って聴く方もいるほどの大盛況で、2000
年の2月13日は大きな感動を持って閉じられ
たのでありました。早咲きの紅梅白梅が春近し
を思わせる一日でした。未来に生かそう鉱毒事
件―ですね。
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