ミケの足尾レポート・バックナンバー 1
書き込み中止のお願い
管理人(32) 投稿日:100年1月2日<日>18時08分
当掲示板は、只今メンテナンス中です。

杉菜畑の山神社
ミケ(31) 投稿日:99年12月31日<金>23時40分/群馬県/女性/55才
新年あけましておめでとうございます。
2000年という記念すべきこの年。
20世紀最後の年が良い年になります
ようにお祈り申し上げます。

新年の初詣に、山神社にお参りしてみま
しょう。前述の木村長兵衛の死を嘆く間
もなく、銅山は採掘方法の近代化と共に
増産も急ピッチという状態でしたが、今
後の鉱山の繁栄と安全を祈る目的で明治
22年、杉菜畑に山神社が建てられまし
た。役員及び鉱夫一同の献金によって建
てられたものです。

製錬所から出川を上流へ行くと、三養会
の建物が残る手前に案内板があります。
鳥居をくぐり、そこから100mほどの
山の中腹の神社まで社宅が連なっていた
そうで、何段にも石垣を積み上げてある
道を廃屋や台所用品の落ちているのや、
道の水道管など当時の生活を想いながら
登るとほとんど崖っぷちのような棚地に
小さいけれども立派な神社が建っていま
す。出川をへだてて「足尾銅山とは備前
たて山そのもののこと」といわれ400
年近くにわたって銅を産出し続けた名山、
備前たて山が見えます。山神社とともに
この場所は、銅山の人達にとっては特別
の思いがこめられた聖地だったことでし
ょう。

山神社は今も足尾町の文化財として守ら
れております。他にも銅山関係のたくさ
んのものを管理して下さっている足尾町
の皆さんに感謝しております。

------足尾町がんばれ------

※備前たて山の「たて」の字は外字のた
 め出力されません。「盾」にかねへん
 をつけて下さい。
http://gunma.to/free/mike

改名しました
ミケ(30) 投稿日:99年12月29日<水>08時00分/群馬県/女性/55才
このたび私「Mike」から「ミケ」に
改名しました。どうも「マイク」さんと
間違われるので…引き続きよろしく。
http://gunma.to/free/mike

明治期の飯場頭「小柳精平」
Mike(29) 投稿日:99年12月26日<日>02時26分/群馬県/女性/55才
余談ですが、田中正造は11月3日生まれで
蠍座の男です。さて…

足尾の龍蔵寺でしたね。遊水池から渡良瀬川
をさかのぼること60km、2時間くらいの
ドライブです。龍蔵寺には住職の大忍坊、桜
正坊の墓、渡坑夫の墓、前出の松木村の無縁
塔などいろいろありますが、何といっても見
落としてはならないのは小柳精平の墓だと思
います。墓地の中央にまっすぐ製錬所に向か
い合って古い立派な墓があり、戒名は「精忠
院常耀道範清居士」といい、裏側には当時の
足尾鉱業所長・小田川全之の弔辞が刻みこま
れています。

彼は、古河市兵衛が銅山の経営を始めた明治
10年には新潟の草倉銅山にいましたが、明
治13年、市兵衛の甥の木村長兵衛が足尾に
鉱長としてよばれたのに伴い、坑夫の部下を
連れて足尾に来ました。長兵衛と精平は草倉
銅山で会い、安政元年(1853)、生まれ
月も7月の同年で、26〜27歳の働き盛り。
正造はといえば1841年の生まれですから、
いよいよ政界に出ようかという時の事です。

足尾銅山の草創期、長兵衛と精平は互いの信
頼で結ばれて銅山の発展に尽くしました。小
柳精平は坑夫飯場頭(頭役)としての実力も
抜きんでており、人望も厚く、後には本山坑
夫1000余名の頂点に立つようになりまし
たが、特筆すべきは坑夫の子弟の教育の為に
と会社側に提案し、本山小学校の前身でもあ
る学校を創立したという事です。現在の本山
小学校の校庭からは製錬所を上流に望むこと
ができます。将来の銅山を継ぐ子供達への期
待が会社側にも坑夫側にも同じ思いであった
事でしょう。長兵衛は明治20年の松木の大
火で全焼した鉱業所の復興の激務がこたえた
のか、もともと身を粉にして働くタイプだっ
たらしく、ストレスで胃腸も弱っていたので
しょうか。明治21年、いわなの刺身に当た
り35歳の若さで他界してしまいます。この
いきさつは立松和平さんの著書「恩寵の谷」
にくわしく、長兵衛の鉱長としての胸のすく
活躍ぶりが人間的に暖かく書かれています。
読んでみて下さい。銅山の草創期から隆盛期
にかけての時代を銅山とともに歩んだ精平は
明治天皇が崩御された同じ年59歳で亡くな
りました。その年正造は72歳。翌年の大正
2年にはやはり、長年のストレスの為か胃ガ
ンで亡くなりました。それぞれに明治と共に
燃え尽きた一生だったかもしれません。
http://gunma.to/free/mike

正造直訴 その2
Mike(28) 投稿日:99年12月19日<日>01時21分/群馬県/女性/55才
NHKの「ニッポンときめき歴史館」という
番組で、赤穂浪士の討入りの真相というのを
取り上げており、丁度田中正造直訴の日と近
い事もあり興味深く見ました。大石内蔵之助
はその真相が後世の人々に曲解され、誤解さ
れて伝えられるのを避ける為、事前に信頼で
きる人々に遺言のように書き残したり、また
家来に事の真意を後世に伝える役を命じたり
した後、討入りをしたらしいのです。さてそ
の動機、真相とは…「討入りはあくまで主君
への忠義を貫く為であり、幕府の対応に対す
る不満の表明ではない」というものです。幕
府への不満かと思っておりましたが…。

そこで本題の田中正造の直訴の真相は…。正
造は当時、銅山の鉱業停止も、谷中村の復活
もおそらく無理だろうと言っていたそうで、
政府の態度にも、鉱毒反対の運動にも、ある
意味で行きづまった状態の中で、現状打開策
として「世論を揺り動かし、後に続く若い力
に期待」しようとして自身を捨てたのだ…と
いう意見もあります。が、別に直訴は何年か
前から正造の気持ちの中にあり、運動への賛
同者・協力者と前もって画策していた…とい
うのも事実らしいのです。

直訴の後、世論は沸騰し内村鑑三や木下尚江、
島田三郎他に引率された1000人もの学生
が現地の惨状の視察をしたり、救援活動も活
発になりました。しかし事態も急展開し、3
年後には谷中村遊水池案が浮上、続いて日露
戦争が始まり、運動も下降線をたどっていき
ました。

そして今、人的、質的公害に悩まされる今こ
そ正造の直訴の意味が問い直される時だとい
われます。正造の運動については、折にふれ
また考えてみたいと思います。61歳の時の
直訴から後の正造の気持ちはどんなものだっ
たのでしょうか。

また、足尾の龍蔵寺へ戻りましょう。
http://gunma.to/free/mike

う〜ん
Macky(27) 投稿日:99年12月16日<木>01時33分/群馬県/男性/28才
このページをミケさんの日記帳と思って
いる人が多いのではないでしょうか。あ
まりに書き込みが少ないので、ミケさん
に確かめてみたのですが、皆さんの思い
をジャンジャン書き込んでよいそうです。
今アクセスしたあなたもいかがですか?
http://gunma.to/free/macky

え?そうなの?
飴柿(26) 投稿日:99年12月13日<月>14時05分
正造の直訴の理由って、わかってはいないの?だって
「鉱毒でくるしんでまーす」っていうような文章の全文(もちろんもっとむずかしい)
が教科書に書いてあったと思うけど。気のせいかな?
たしかに正造が悲壮な伝記を残していても、相変わらず公害問題は燦然とあるばかりか
ひどくなる一方。そこの地域の問題ではないはずなんだけど、何か坂の上で積み木を
しているような、間違った方向をかんじますね。私も電気つけっぱで寝てしまったり
ダラダラと発展を享受してるんだけれども。
あと、引越しおめでとうございます。これからもよろしくおねがいします。
http://www.simcommunity.com/sc/sampo/amegaki/main

正造直訴 12月10日
Mike(25) 投稿日:99年12月12日<日>09時06分/群馬県/女性/55才
12月10日より、トップページのURLが変更に
なりました。http://gunma.to/free/mikeです。
お手数ですが、書き換えをお願いいたします。

さて突然ですが、龍蔵寺の墓地は次回にして、谷中
村へ行きたいと思います。1901年12月10日
は正造が天皇に直訴した日です。そして、最後は自
らも谷中村民となって、被害民と共に闘った田中正
造の心の故郷・谷中村。今は葦原がどこまでも広が
り、湖には渡り鳥が多く大自然そのものの大変美し
いところで、サイクリングに釣りにウィンド・サー
フィンにと、リエクレーションも盛んですが…。

さて、もうすぐ西暦2000年を迎えようとしてお
りますが、この100年間ほど、人間の歴史の中で
変化のあった100年はなかったのではないでしょ
うか。科学、文化、情報、医学、宇宙開発等をはじ
めとして、人間の英智は善も悪も合わせて止まると
ころを知らないかのようです。しかし丁度100年
前を振り返ってみると、1900年2月13日には、
鉱毒反対請願の川俣事件、翌年1901年の12月
10日には正造の直訴の事件が起きています。正造
は何が目的だったのか、研究者の見解も分かれてお
り、もちろん私にはわかりません。ただ思うのは、
正造は銅山が敵だったかのように解されがちですが、
実際は「鉱毒と闘った」のだと思うのです。

そして直訴から100年、今、日本は各種公害対策
に四苦八苦という状態になっています。正造さんは
その日本の現状を今もハラハラしながらどこかで見
ているような気がしませんか?

附記:来年2000年2月13日は川俣事件100年
を記念して、再現の計画があります。問い合わせは、
実行委員会事務局(0276−73−5100)へ。
被害農民の集結場所となった雲龍寺から現場の川俣
まで約10KMを歩き、記念祭をするとのことです。
http://gunma.to/free/mike

足尾町・龍蔵寺
Mike(24) 投稿日:99年12月5日<日>01時32分/群馬県/女性/55才
前回の松木村跡で、文化三年となっており
ましたが、文化九年の誤りです。訂正して
私の記憶違いをおわびします。ちなみに文
化九年は1812年、銅山は幕府の経営下
にあったものの産銅もほそぼそと、やがて
1844年には休山状態になります。この
頃1832年に古河市兵衛、1841年に
田中正造という因縁の二人が生まれました。

さて、足尾ダムから松木川左岸を足尾町内
へ下ってきます。愛宕下の防火壁のある社
宅を過ぎるとまず左手の山を背に龍蔵寺、
右手に川を隔てて製錬所の建物があります。
製錬所は山の斜面にならび建ち、閉山から
26年を経てその姿にまず目も心もくぎづ
けになりますが、先に龍蔵寺に寄ってみま
しょう。

開基は日光開山の勝道上人とも役の行者と
もいわれますが、現在は日光山輪王寺の末
寺となっております。さる12月2日、日
光の社寺(輪王寺も)が世界遺産として登
録されましたので、足尾の龍蔵寺にも思い
を馳せていただきたい・・・本堂に向かって
左手には廃村となった旧松木村の墓石を集
めて合祀したモニュメントがあり、これが
製錬所に背を向けて建っています。

砂防ダムに埋もれるところを助けられた墓
もあり、旧松木村にあった方等寺が廃寺と
なったため、無縁仏となるのを供養された
墓もありということですが、中には個人的
に銅山が何とも慕わしく「製錬所の方を向
きたい…」という墓の主もおられるのでは
などと考えながら見ると心痛むことです。

続いて右手の墓地も見せていただきましょ
う。(次回に続く)
http://www.nttl-net.ne.jp/yaruki24/mike.htm

楽しみにしています。
飴柿(23) 投稿日:99年11月30日<火>15時36分/88才
これは感想なので「通常」でいいのかな?
とにかくNHKの30分くらいの番組をみてるような充実した気落ちになれます。
トップの写真もとてもいい。あれはデジカメなのですか?
写真も上手ですね。
田中正三の色をみたいので、次は彼のことを質問しよっと。
http://www.simcommunity.com/sc/sampo/amegaki/main

題名の色
Mike(22) 投稿日:99年11月28日<日>23時25分/群馬県/女性/55才
書き込みの内容によって、題名の色を
使い分けできるようにしました。
「通常」「速達」「田中正造」
「足尾訪問」「質問」「解答」
「発見」の7種類があります。

※ここから下の書き込みは、変更前の
 ものなので、題名の色は書き込みの
 内容と一致していません。
http://www.nttl-net.ne.jp/yaruki24/mike.htm

松木村跡
Mike(21) 投稿日:99年11月27日<土>17時56分/群馬県/女性/55才
本日、足尾銅山リンク集を新設いたしま
した。リンクを承諾して下さった皆様に
心より御礼を申し上げます。さて今回は、
足尾ダムから上流の松木渓谷へと入って
みましょう。

平日は工事関係者のトラックが多いので
要注意。道も今年の大雨の後は荒れてい
て、心細い状態でした。村跡へ入ると今
や村の象徴ともなってしまったカラミ(
鉄分が多く含まれている銅製錬の廃棄物)
の黒い砂が右手山全体に広がっています。
この堆積物は廃村後、1960年(昭和
35年)まで50年間、架空索道で運ん
では投棄し続けられたものです。この辺
から山峡は広く開けており、陽当たりの
良い場所が続いていますが、少し上の右
手草むらに写真の屋敷稲荷(トップペー
ジをご覧下さい)が今もひとり村を守っ
て残されています。石造りの立派なもの
で文化三年三月吉日と彫られており、近
くには石垣も長く続いて認められ、畑や
家のあった村の当時がしのばれる所です。
また少し登り谷がせばまる所に「上の墓
地」があります(下の墓地、中の墓地、
上の墓地)。ここからはもう製錬所の建
物は山に隠れてよく見えません。対岸の
岩だらけの山が目の前に印象的で、この
木のない岩山から少なからぬ量の水が小
さな滝となって松木川に落ちているのは
感動の一言です。かもしかの姿が見える
事もあります。

一種、宇宙空間に居る様な岩山を前に、
ここには人家もコンビニも人間の社会生
活もありません。よって、近頃話題とな
った「しし座流星群」を観察すれば月世
界から見ているような臨場感あふれるも
のがあることでしょう。人の営利に触れ
ない空間、この場所では絶対にケータイ
など使わないでほしいですね。足尾ダム
の工事が始まる1951年まで村に残留
していた星野さん父子が居られた事は、
下流の谷中村の残留民の心と通じ合うも
のが感じられます。

次回は足尾町に行きましょう。

http://www.nttl-net.ne.jp/yaruki24/mike.htm

足尾ダム(三川合流ダム)
Mike(20) 投稿日:99年11月21日<日>21時14分/群馬県/女性/55才
「わたらせ川源流の碑」が銅(あかがね)橋の
畔にあります。右から久蔵、松木、仁田元の村
がかつてあり、人々の暮らしがありました。今、
この橋から上流をみると荒涼というか、荒寥と
いうか、これほど言い得ている場所はそんなに
ないだろうと一種感動を覚えます。

田中正造も1900年この地を訪ね、煙害の惨
状を確認しています。松木村には正造の縁者も
住んでいたのですが、1902年1月、銅山と
の示談が成立し、廃村になりました。

1955年に砂防ダムとして造られたこのダム
も、現在はすっかり土砂で埋まってしまいまし
たが、近年、銅親水公園ができ、山側には展望
台も作られて昔の村の跡を望むことができます。
秋おそく、すすきの村跡は下流の谷中村跡にも
通じるものがあり、なかなか美しい眺めです。

次回は松木村跡を訪ねてみましょう。
http://www.nttl-net.ne.jp/yaruki24/mike.htm

これからは写真と共に…
Mike(19) 投稿日:99年11月21日<日>15時54分/群馬県/女性/55才
「足尾銅山研究」のトップページを
作りました。これからは私の撮った
写真と共にお楽しみください。
http://www.nttl-net.ne.jp/yaruki24/mike.htm

いいメール
Mike(18) 飴柿さんへ 投稿日:99年11月20日<土>00時05分/群馬県/女性/55才
>なんとも風情ある、道がうかぶ、
>いい文章ですねぇ。
こんなふうにホメていただける、
飴柿さんの人のよさも感じます。
また新しい文を書いておきます。
時間のある時にお越し下さい。
http://www.nttl-net.ne.jp/yaruki24

いい研究
飴柿(17) 投稿日:99年11月18日<木>17時33分/88才
なんとも風情ある、道がうかぶ、いい文章ですねぇ。
道が開くと人が集まり、人害も増す、繰り返されることですけど、
銅山のイメージがつきまとうこととどっちが、といえ事業としては
もちろん、前者がいいことでしょう。
ところで、私は日光というと家康の・・・とか思っちゃうんだけど、
開山した方がいらしたのね、そりゃそうか。
http://www.simcommunity.com/sc/sampo/amegaki/main

関東ふれあいの道と古峰神社
Mike(16) 投稿日:99年11月14日<日>07時43分/群馬県/女性/55才
今回は日光開山の勝道上人が修業したと伝え
られる深山巴の宿から聖なる古峰神社を訪ね
てみましょう。足尾町向原(むかいはら)の
橋のたもとに古峰神社まで11.7kmの標識
があります。昔はここが神社への入り口とし
て東北や越後、信州から参拝者がひきも切らず
大変な賑わいだったそうですが、今は昔の物語
です。修験行者の道とも書かれています。

コースは向原〜内ノ籠〜深山巴の宿〜古峰神社
と都沢に沿って歩きます。春のヤシオツツジの
咲く頃は絶好のハイキングコースかもしれませ
ん。

足尾町の観光事業のひとつとして、足尾町から
古峰神社への草久足尾線の計画が盛り込まれて
いますが、もし車道が開通すればどんなに観光
客が増える事か…と楽しみと同時に豊かな自然
に恵まれた道が荒らされてしまうのではと心配
でもあります。

古峰神社へは鹿沼市から一時間程で容易に行く
事ができます。神社の庭園・古峰園はいつの季
節も美しくすばらしい。園内の峰の茶屋での食
事も心に残るひとときになることでしょう。
http://www.nttl-net.ne.jp/yaruki24

ほうほう。
飴柿(15) 投稿日:99年11月12日<金>18時00分/88才
悲壮なじいさんだと思っていたけど、風呂桶にねぇ。
思い立ったら必ず実行する人だったと言った方がいいのかしらね。
この前日経に「政治屋(ポリティシャン)は次の選挙の事を考え、
政治家(ステイツマン)は次の世代を考える」と書いてあって、
ありがちなれど、なんて身にしみる引用だろう、と思ったのです。
それでこのじいさんのこともちょっと思い出して、それはきっと
ミケさんのこのページのおかげさまだな、と思ったの。
http://www.simcommunity.com/sc/sampo/amegaki/main

足尾町HPリンク
Mike(14) 投稿日:99年11月9日<火>23時40分/群馬県/女性/55才
Mackyさんの「おすすめリンク集」に
足尾町のホームページを加えてもらいまし
た。この掲示板の補足資料として、お使い
いただければと思います。
http://www.nttl-net.ne.jp/yaruki24

田中正造翁
Mike(13) 投稿日:99年11月7日<日>21時11分/群馬県/女性/55才
たくさんのアクセスありがとうございます。

正造の研究の大御所・布川了先生の著書
「田中正造たたかいの臨終」からですが、
正造の青春時代のエピソードとして、カツ
さんを妻に迎えた時の話です。カツさんの
両親に断られ、正造の家であれこれ説得に
苦労している時、裁縫のけいこ帰りをねらっ
て、背負いかごに入れて連れてきてしまっ
たのです。そういうことになっております。
当然二人でしめし合わせての事だったと思
われます。向こうの両親が取り戻しにおし
かけて来ましたが、正造はカツを風呂桶に
隠して知らん顔をしていました。どちらに
してもカツの同意がなければ失敗に終わっ
たでしょうから、二人の結婚は「恋愛」の
上に成立したのだと思います。正造かぞえ
年24才、カツ15才の時でした。カツは
すらりとした美人で、その上正造が見込ん
だだけにしっかり者でした。一方正造は、
ずんぐりでしかもバツイチ(注:最初の結
婚がどうして駄目になったのか何か理由を
お知りの方は教えて下さい)でした。カツ
はほとんど家に居ない正造に代わって、両
親と共によく家を守り、賢夫人と讃えられ
ていますが、正造の生き方から自分も多く
学び成長していったのです。正造自身も大
努力の結果、衆目に認められるところとな
りましたが、政界で活躍するようになって
も、気持ちは常に故郷の人々と共に在り、
人々の意見を代弁する立場を忠実に守り依
って、鉱毒反対の運動へと進みます。私利
私欲は一切無く、政治家の鑑ともいえる人
生を送りました。今の国会議員さんにも見
習ってほしいものですね。自然をこよなく
愛したエコロじいさんでもあった正造翁で
した。



http://www.nttl-net.ne.jp/yaruki24

Re:ウワー、ドーナルンダ? (*o*) つづき
tarragon(12) mikeさんへ 投稿日:99年11月6日<土>09時55分/神奈川県/女性/90才
紅葉の綾錦…
きれいですてきな言葉ですね。
久々に聞きました。

渋滞はイヤですが(^^)
いいところの近くにお住いですね。
では。
http://gatecity.gaiax.com/home/taragon/main

Re:旅の者
mike(11) tarragonさんへ 投稿日:99年11月6日<土>00時56分/群馬県/女性/55才
>研究熱心なMikeさんは、既にご存知
>ではないかと思いまするが念のため、
>お知らせしますじゃ。
tarragonさん、はじめまして。
今日はアドレスのおみやげをありが
とうございました。私は足尾の研究
はしても、パソコンの研究はしたこ
とがないので…うれしかったです。

ところで関係者の皆様、ごめんなさい。
訂正をします。内の篭は「うつのこも
り」の読みが正しいようです。いやー、
地名は難しい。誤りが見つかったら、
ぜひ教えて下さい。
http://www.nttl-net.ne.jp/yaruki24

ウワー、ドーナルンダ? (*o*) つづき
mike(10) 投稿日:99年11月6日<土>00時42分/群馬県/女性/55才
大型車通行止めの道を通るのは何か
理由があってのことだったのでしょ
うか。2台前の車は、時間をかけて
まるで神わざのようにすれ違いに成
功し、さっさと行ってしまいました。
私はまだ後ろが少し空いていたので、
後列にバックして右手山側の小さい
場所へ入りました。…とすぐ前の車
からご主人が降りてきて「ウチも入
れるからもう少し入って下さい。」
私は自分の運転技術のほぼ99%の
力と気力で、石ゴロの中を山のぼり
でバックしました。ご主人の誘導で
入った奥様の顔も真剣そのものでし
たね。ようやくダンプを通し、我ら
2台は目的地へ一目散。皆さん無事
に通れたでしょうか。ご夫婦は銀山
平へ行ってからこちらに回られたと
いうお話で、銀山平も車でいっぱい
だったそう…

さておき、周囲の山々の紅葉はそれ
はそれは見事で、午後2時、秋の木
もれ陽も気分良く、横根山頂上をゆ
っくり1時間で往復しました。「熊
出没注意」の看板はありましたが、
幸いにして遭うこともなく、無事に
帰ることができました。

山頂に広がる牧場に、草を喰む牛達
と草紅葉。山々は今を盛りの紅葉の
絵屏風。遠く日光・男体山は雪化粧
して、青く高い空に冷たく澄んだ空
気。沢の水音。山道を埋める落ち葉。
もうすぐ雪が来て、牛たちも山を降
りる事でしょう。
http://www.nttl-net.ne.jp/yaruki24

旅の者
tarragon(9) 投稿日:99年11月5日<金>17時02分/神奈川県/女性/90才
私はtarragon。ほんの通りすがりの旅のものですじゃ。

http://www.rs.bio.mie-u.ac.jp/asio/tour/index.htm

研究熱心なMikeさんは、既にご存知ではないかと思いまするが
念のため、お知らせしますじゃ。
では。(ちなみに70番get)
http://gatecity.gaiax.com/home/taragon/main

11/22はいいフーフの日
飴柿(8) 投稿日:99年11月5日<金>14時25分/東京都/88才
ケミがつく名前か。
マッキーとミケで、なんか似てるから、フーフかと思った。本当のフーフじゃなくても夫婦漫才とか。

田中正造の話は、教科書に載ってたの。「かわいそうな象」とともに忘れられないキョーレツな
話。文章がよくは覚えてないけど、とにかくブルースとかを感じてしまう程だった、ような。
とかく悲壮なイメージだったけども、今は桃の名所とかも近くに(といっても車でいくか)くらい
なのね。イロイロ聞いてみるものだ。とても楽しみにしてますので、引越先でもよろしくね、って
まだか。

わしの名前はね。まずはオフの人(弟とか友達)にばれないように、っておお急ぎで考えて、
私は秋生まれなので、秋といえば柿か?鐘がなるかい?法隆寺と思って、あとは甘くて
かわいーちっくなやつがいいな、と思って、中学の時「あめちゃん」って呼ばれてる子がいて
かわいいな、と思ってたの。それで。長くてとりとめなくて、なんかヤーね。ごめんね。
http://www.simcommunity.com/sc/sampo/amegaki/main

開設早々、大切なお知らせ
Mike(7) 投稿日:99年11月5日<金>01時57分/群馬県/女性/55才
このページの入り口でもある「一枚の
写真から」の管理人・Mackyさん
より入った連絡をお伝えします。
------------------------------
このたび、当サイトで利用している
ホームページ開設サービスが、来年
3月をもって終了する事が発表され
ました。

つきましては、このサイトを11月
中に新サービスへ移行(つまりアド
レスが変わるということ)させたい
と思います。今後の「引っ越し情報」
にご注意願います。

皆さんと、連絡の行き違いでお別れ
したくないのでよろしくネ ('_')
------------------------------
http://www.nttl-net.ne.jp/yaruki24

11月3日 文化の日 前日光高原へ
Mike(6) 投稿日:99年11月5日<金>00時40分/群馬県/女性/55才
足尾町から山を越えて粟野町、鹿沼市へと
抜ける道があります。いつもは人気(ひとけ)
のないこの道も、今日ばかりは来るわ来るわ、
道は狭いわ、急坂カーブの連続で油断も隙も
ありません。しかし周囲の山も木々も、それは
見事な紅葉で彩られ、それこそ歌の通りに山は
紅葉の綾錦です。

銅山華やかなりし頃は、内の篭(うちのこもり)
川・都沢のあたりは桃の名所で、避暑に川遊び
に、桃の実を買いにと、銅山の奥座敷という趣が
あった所だとか。今も沢沿いに家の土台石が残っ
ています。また、この道は122号の銅街道と
同じく、銅を運んだこともあった歴史ある道でも
あります。

さて、前日光牧場の広がる横根山は開拓団として
満州へ渡り、そしてまた帰ってきた人たちが入殖
して暮らしていた時代もあったところです。粕尾峠
から林道を入ると、山上に草地が広がり、牛がのど
かに遊ぶ、開放的な眺望のすばらしいところです
(標高は夏なお涼しい1300m)。

さて、今を盛りの紅葉に見とれながら行くと、
急に渋滞! ナナナント、すれ違うのもヒヤ
ヒヤのこの道を、向こうから大型ダンプが
来て道をふさいでいるのです。

ウワー、ドーナルンダ? (*o*) つづく
http://www.nttl-net.ne.jp/yaruki24

アクセスありがとうございます
Mike(5) 投稿日:99年11月3日<水>19時09分/群馬県/女性/55才
私もこのページを始めて、どれぐらいの
方に来ていただけるのか不安でしたが、
おかげさまで50カウントになりました。
でも、その50カウントめは私がふんで
しまいました。ごめんなさい。引き続き
足尾に関する情報をお待ちしています。
http://www.nttl-net.ne.jp/yaruki24

Re:何故「よろしいですか?」ではだめなのか
Mike(4) 飴柿さんへ 投稿日:99年11月3日<水>08時11分/群馬県/女性/55才
>足尾銅山って田中正三のやつだったか。
飴柿さん、はじめまして。あなたが
このページのお客様第1号ですね。
これからもよろしくおねがいします。
よく「田中正造」のことをご存じで…
彼のことについては、あとで詳しく
ご紹介しますので、お楽しみに!

ところで「飴柿」ってかわいい名前
ですね。由来は何ですか? 私の名前
Mike(ミケ)は、猫好きである
のと、自分の名前の一部をひっくり
返したところからきているんですよ。
http://www.nttl-net.ne.jp/yaruki24

何故「よろしいですか?」ではだめなのか
飴柿(3) 投稿日:99年11月1日<月>16時14分/東京都/女性
「ドコ行ってきましたヨン」とか「発見したヨン」で「足尾銅山研究」
そのタイトルなかなか思いつきませんねぇ・・・。さすがマッキー関係者。
マッキーさんには常々遊んで頂いてます飴柿と申します。よろしくお願いします。
足尾銅山って田中正三のやつだったか。あのヒゲの長い、天皇に直訴した
悲壮なオジサン。

さて、なんかわしのページには日記なんていう神をも恐れぬ恥かしい機能が
あって、それに長々と書いちゃって重複御免なんだけど、この週末に鯖江、
名古屋と行ってきて、
「このお皿下げてもよろしかったですか?」
といいながら店員たちが皿を下げていくのが、方言なのか、マニュアルなのか
わからないまま、あまり気持ちがいいものではないなぁと思ってました。

まったねん

http://www.simcommunity.com/sc/sampo/amegaki/main

紅葉の穴場(根利)・小滝・銀山平
Mike(2) 投稿日:99年10月31日<日>11時18分/群馬県/女性/55才
足尾町のホームページ
http://www.bekkoame.ne.jp/ha/ashio/
参考までにどうぞ。

かつて銅山で消費する木材・薪炭等を
まかなっていた群馬県利根村根利は、
山また山に囲まれて紅葉見物の穴場で
す。国道122号を黒保根村上田代の
信号を入り、花見ケ原キャンプ場を過
ぎ、利根村へ向かいます。道は山道と
してはよく整備されています(舗装)。
そのまま沼田市へ抜けてもよし、途中
から赤城山へ登ってもよし、頑張って
奥利根湖もgoodです。

小滝は、昭和29年に廃止された小滝
坑のあった所です。同じく道は122
号の足尾町切幹から入ります。途中の
小滝小学校の跡には山猿がたくさんお
り、昔の小学校のようです。道は少し
狭いので、美しい紅葉や庚申川の清流
に見とれないよう、しっかり運転して
ください。

銀山平の国民宿舎かじか荘では、坑内
より引いた直利(なおり)の湯が気持
ちいいですよ。ここから庚申山への登
山口になっています。また、銀山平か
ら本山へ、関東ふれあいの道として舟
石林道が最近整備されました。心ゆく
まで紅葉と大自然を満喫して下さい。
渋滞で「日光まで行けないよ〜。」と
いう時にもどうぞ。損はさせません。

http://www.nttl-net.ne.jp/yaruki24

はじめまして
Mike(1) 投稿日:99年10月31日<日>07時55分/群馬県/女性/55才
はじめまして。この度、足尾銅山研究に
関する掲示板を開設させていただくこと
になりました。

…と申しましても、私の方には受け売り
の資料しかありませんので、足尾銅山、
谷中村、広く栃木県など、何でも情報を
提供していただきたいと思います。

「最近〇〇へ行って来たよ。」
「〇〇でこんな事を発見した。」
「〇〇について教えて下さい。」
といった内容で、皆さんと語り合いたい
と思います。よろしくお願いいたします。

※タイトルは物々しいですが、なにぶん
 一主婦・一素人ですので、専門的な事
 については特別詳しいわけではありま
 せん。本格的に研究されている先生方
 がたくさんおいでの中、私のような者
 が入り込み、申し訳ありません。

※足尾銅山に関するHPを開設されてい
 る方が居りましたら、教えて下さい。
http://www.nttl-net.ne.jp/yaruki24